Jansen博士の死後、Maschinenfabrik Reinhausenは抵抗タイプの高速タップ切換器の開発を継続してゆく使命を負うことになります。また、Jansen家と事前に合意していた内容に基づき、全てのライセンス先に対して、生前Jansen博士が行っていた、特許の維持管理、研究開発の継続、アドバイスの業務も行うことになりました。
その時点で、最も高い売上を上げていたのは戦前の設計の製品であったことから、研究開発の責任を引き受けることで、OLTCの計画の抜本的な再構築と近代化を行うことにつながりました。この後の数年の間、1年あたり最大14の特許がドイツで出願され、何度かは同数がドイツ国外でも出願されました。これは新たな社内の開発内容が勝手に盗用されることを防ぎ、基本特許を蓄積することで将来の開発に対して十分なゆとりを築くことを目的としていました。
ドイツ国内の成長は止まっていましたが、輸出は安定して伸びていきました。全体に占める輸出の割合は1963年には67%になり、1968年には82%に達しました。
1973年には大規模な研究開発の末に、M形のOLTCが発表されました。機構部分においての技術的に大きな跳躍であり、Jansen博士によって開発され、1938年よりMaschinenfabrik Reinhausenによって製造されたD形のOLTCを置き換える条件が整ったのでした。この数年後、最も高い安定性を誇ったD形の製造は終息し、合計で11,000台を超えるD形のOLTCがMaschinenfabrik Reinhausenによって製造されたのでした。
海外売上の増加と、一部の国外の市場では成長が期待されたことから、国外子会社を設立してゆくことを主要な戦略の一つとしてゆきます。1980年に最初の現地法人としてMR do Brasil社が設立され、その8年後にはReinhausen Australia社が設立されます。1989年にはWestinghouse社のOLTC製造部門を買収し、Reinhausen Manufacturingと名前を変えます。1993年にはイタリアの販売サービス会社を買収し、1996年には中国、インドのそれぞれで合弁会社を設立します。日本では2002年にエムアールジャパン株式会社が設立され、2014年には保守、修理を行うサービス会社として、ラインハウゼンソリューションズ株式会社が設立され、今日に至っています。これらの現地法人は、Maschinenfabrik Reinhausenと顧客との距離を、常に最短にすることを目的としています。
1989年には大きく、また、歴史的に最も重要な競合相手の一つであったSiemens社のOLTC製造事業を小規模の資本参加と引き換えに引き受けることになります。これは会社にとって、更なる成長のステップとなり、製造能力拡大のための新たな工場の建設へと繋がっていきます。
2000年にはVACUTAP® VV®を発表し、真空バルブ内でのスイッチングという未知の世界を切り開きました。これはまた、タップ選択開閉器の設計が、完全で適切なOLTCとなったものでもありました。これ以降、VACUTAP®シリーズとして、各機種がリリースをされ、お客様のお役に立っています。
Jansen博士は、彼の基本的かつ画期的な発明により、OLTC、さらには調整変圧器の構造に影響を与えました。それは、これまで、誰にも真似されてはいません。Maschinenfabrik Reinhausenは新たな発明により、この非常に有能な技術者の偉大な技術的功績を、実質的に途切れなく引き継いできました。
Maschinenfabrik Reinhausenは質の高い製品、サービスをお客様に提供することにより、高圧分野で高度に専門化し、世界中で事業を行っている非常に成功した会社となりました。創業の時から本質的に変わっていないことは、家族所有の会社であることと、レーゲンスブルク市、特にReinhausen地区で製造を行っていることです。Maschinenfabrik Reinhausenは、今後も高圧分野のスペシャリストとして、質の高い製品、サービスをお客様に提供し続けていきます。